私が小学校に入学したころ左利きだったんですが、当時の担任に無理やり治されて右利きになりました。
それでも箸の持ち方とかそういうのって直すのは難しく、ものを書くことなどですね。
なんで当時担任の先生が右利きに治させたのはよくわかりません。では私のクラスには左利きの人がいなかったかというと私の記憶が正しければですが一人だけいました。
当時私の両親と担任の間で何か話し合いがあったかもいれないにしろ今思うとはっきり言って必要ありませんでしたよね。
私が今それで人生に苦労しているという話ではありませんが、日本の教育制度の是非が問われるなかでふと頭をよぎったのでお話させていただきました。
とまー堅苦しい感じはなしとして、
いろいろ教師という職業をやっている人に出会いました(生徒という立場、友達という立場で)が皆に共通して言えることは世間知らずということです。
世間知らずっていっても抽象的すぎるので具体的に言いますと一般社会の経験がないせいか理想ばっかり語る人が多いというか…
でもそれって大人になってから気づいたことで当時は両親以外の近しい大人といえば学校の先生だったわけでその大人が偉そうに話すことを私たち子供は黙って聞くしかなかったわけで。
学校の先生って学校の先生になるために勉強してきた人がほとんどでそれって先生とか教師っていうものを職業というものだという考えですよね。
少しわかりににくいので例を出しますと
例えばコックになりたい人は料理の勉強をします。料理の基本的な知識から始まりその後フランス料理とか日本料理とかって学んでいきますよね。
でもそれってその人がコックとかシェフとかいう職業に就くために勉強して資格を取るじゃないですか。
じゃあ純粋に料理が趣味の人ってわざわざコックとかシェフになりませんよね。
学校の先生って資格があるとできますよね。
でも学校の先生って料理と違ってこのやり方が正しいっていうガイドがそこにあってはいけないものだと思うんです。
料理はある程度のガイドがあって初めておいしい料理になりますが教師ってガイドどおりやっても優秀な人間が生まれるわけじゃありませんよね。
冒頭でお話しした私の左利きを教育という名のもと右利きに直したことってまさにそれでその教師の頭の中にはガイドしかなかったのです。
ですから左利きは間違いで右利きが正しいというガイドがその教師の頭の中にあったわけです。
つまり教育制度どうこうよりも学校の先生になるためにはこの資格が必要です。だからこの勉強を一生懸命やりましょうという教育のもとで育ってきた人は先生をやるべきではないと思うんです。
システムのだめな部分を指摘してそのままという無責任な投稿はしないように心がけていますのではどうすればいいかといいますと、学校の先生を育成するために最低2年間は一般企業に勤めさせるというのどうでしょう。
学校に通う99%の学生は将来一般企業に勤めますよね。
でも教育をする立場の人がその一般企業を経験したことがなかったら何をゴールに教育をしてけばいんですか?
ゴールがテストでいい点数を取るじゃないですよね。
ゴールは一般企業で社会人として立派に成長して結婚して子供を作って…なんていうのがゴールですよね。
では医者や法律家になりたい人には無駄な教育になるんじゃないのという反論があるかもしれませんが、はっきり言って医者や法律家になる人が一般社会の仕組みを知って損になることは一つもありません。
そもそも専門的な職業に就く人が本格的に勉強始めるのって大学に入ってからですよね。
人間の一番大事な部分が形成される小学校、中学校、高校のときに社会の常識や社会の仕組みをもっと深く教えていくことが日本という国をよくすることになると私は思います。
No comments:
Post a Comment